WINTER PARADISE

SAJ基礎スキー検定1級への道


2002年は何故か基礎スキー!

 2002年2月21日、山梨県、大泉清里スキー場にて、SAJ(全日本スキー連盟)1級を取得しました。

 スキーは小学生の時からカッ飛んでいて、カッコ悪いボーゲンなんてしたことない。社会人になって「私をスキーに連れてって」の影響もあり、一時は「極楽スキー」を極め、モーグルのまね事にも手を染め、ニセコでは深雪にもはまり、コブでジャンプするのが嵩じて2001年にはクロスの大会にも出たりして、スキーだけはどんな条件でも何処でも滑れる自信を持っていますが、昔から人目を気にする基礎スキーだけは大嫌いでした。
 だって、整備された斜面をゴチャゴチャかたまってチョットずつゆっくり滑って、何が楽しいのだろう?スピードも浮遊感も何もない!見た目はキレイでも、コブや急斜面に対応できないじゃないか!そんなのは、ひ弱で、スキーの楽しみをスポイルするものだ!第一、せっかく自由に滑れるのに、スクールやら検定に時間を費やすのは勿体無いじゃないか!体制に対する反抗や、中学生のときに、2級を持っている事を自慢するイヤなヤツがいたせいもあるのですが、ずーっとそう思っていました。

 学生の頃は、年に数回しか滑れず、会社に入ってからも独身の時はいざ知らず、結婚してからは大分に転勤したり、子供が生まれたり機長昇格があったりで、年に数回しか滑れない年が続いていました。最近は仕事のほうも順調で、子供も大きくなり、心に余裕ができたせいか、子供達とスキーに行く回数も増えてきました。
 2001シーズンあたりから、長女がパラレルをできるようになってきて、次に何を教えたら良いのか分からなくなってきたのです。自分は札幌で毎週のように滑っていたし、チャレンジングなバーンもたくさんあった(当時はゲレンデ整備もされていなかったし)ので、カッ飛んでいるだけで上達した(と本人は思っている)のですが、子供達は横浜から年に数回しか連れて行けないうえに、妹たちのレベルに合わせたスキー場しか滑れない長女には、少ない機会・緩斜面でも上達出来るように何か教えてりたい、と思ったのですが、自分が習ったことがないから、何をどう教えたら良いのか皆目見当がつかなかったのです。

 そのうえ、クロスでの転倒。病院には行かなかったけれど(行ったら多分仕事はパー)、夏頃まで背中が痛かったのです。もうクロスはダメかな?ということで、「危険な?」スキーを卒業した私が、きちんとした上達のための技術を習って、子供達に伝えたいと思うようになりました。
 そのうえ最近では、デモンストレーターも競技出身者が増え、技術選でも「速く強いスキー」をする選手が上位を占め、カービングスキーが主流となってみると、求められているものは「ワイドスタンス」「より低い姿勢」「抜重でなくクロスオーバー」「スピード重視」など、小学生の時の自分の滑り、そして、「飛ばす」時の滑りと重なるのです。SAJの基礎スキー技術が地元のガキに追い付いて来たのでは?とすら思えました。

 それと、もう一つ重要なのは(何でもそうなのですが)、「常に目標を持つこと」。クロスに出られないなら、次の目標が必要。でもいまさらレースに出ても惨敗するだけ。ただ楽しいだけでも長続きしません。シーズン前にザウスに通うのに、「言い訳」が必要だったのも否定はしませんが・・・。
 そう、スキーシーズンが始まると、子供たちと滑らなければならないので、自分の練習はあまりできなくなりますから、2001年秋。オフ・シーズンからこのプロジェクトは始動したのです。
2001年12月12日、ザウスで2級取得。

 9月は運動会シーズンでもあり休みがとれず、10月に初めて検定を受けました(ザウスは夏も毎月1回検定があった)。ものの見事に不合格。当時の検定は、「実践講習テスト」というのがあって、滑るごとにアドバイスを受けられるのがあるのですが、自分のイメージとSAJの要求しているポイントとに相当のギャップがあることも良くわかりました。
 そして何よりも検定は「演技」であるということ。実力を判断するのではなく、SAJの要求しているポイントをどれだけ理解して、それをどう検定員にアピールするか?ということのようなのです。2級ですら「では、滑ってください」ではなく、「演技してください・・・」これには参りました。
 でもこれって、気象予報士試験や定期運送用操縦士および機長昇格審査の時に感じたことと一緒なのです。入試なんかでもペーパーテスト以外の小論文や面接などは、もしかしたら皆一緒だったのかもしれませんね。自分が何を考え、どう練習してきて、それをどう表現するか、それが採点者(若しくは出題者)の要求するポイントを的確にとらえ、行動できているか。いかにも日本的な発想です。
 もしかして、受験勉強も全部そうだったの?(今頃気付いても遅いって・・)自分でそのポイントを見つけ、自分の滑りを分析し、矯正するのは至難の業。だから、スキースクールがあんなに繁盛するんだ!と納得がいきました。

 「こんなモン、自分に合わないからやめちまえ!」とも思いましたが、合わないのは初めから分かっていたこと。ちょうど長女が塾でクラスが落ちてしまって、「もう辞める!」と言っていた時期でもあり、父親としてはここでやめるわけにはいきません。

 11月は、規定種目事前講習というのを受けたせいもあり、かなりポイントが整理できてきていて手応えはあったのですが、その規定種目は合格点ながら、実践種目のほうで点が足りず、不合格となってしまいました。この月は、11名受験して1名のみ合格、1級も15名受験して1名だけという厳しい結果でした。
 12月は、レッスンを受けて望みました。ここで初めて、前後の荷重移動を習いました。昔は、荷重はいつも前へ・前へ!と習いませんでしたか?その辺がよく分かっていなかった部分だったのだ!レッスン後は、練習にも行けませんでしたから、イメトレをしっかりやって、検定に向かいました。
 実践講習テストでの指摘事項も最初とはだいぶ変わってきて、かなり細かいところまで指導されるようになりました。その分、(良い方向に)固まってきているということでしょうか?合格発表は、自分の前に2人も呼ばれたので、もうダメかと思い結構アセリましたが、ようやく呼ばれて合格。今回は8名中3人も合格したのですが、結果OKです。

 2級まではとっても長い道のりでしたが、嫌いなこと(基礎スキー)に敢えてトライしてみて、自分の滑りの幅がずいぶん広がった気がします。同じ斜面、同じターン弧でも、スピードがつけられるようになりました。基礎とはあまり関係のないような、カービングスキーを最大限に利用して目一杯身体を倒して滑るのも、更に倒し込めるようになりました。
 膝で雪面を削る快感が今までは相当高いスピードでなければ体験できなかったのに、ザウス程度の斜面でも感じられるようになったのです。
 また、本来の目的である、子供への指導という面でも、今まで分かっていなかった部分が具体的に理解できたので、かなりの内容を教えることができるようになりました。
本州で2回滑った(教えた)後、長女と当時2年生の次女は、ニセコの第7リフトのトップからのダウンヒルができるようになりました。2日間で、アルペン・高原・花園・アンヌプリのすべてのコース(高原第5とスーパーコースは除く)を滑りきりました。
 時間とお金(それに精神的な負担)はかかりましたが、その分の収穫は十分にあったと思います。この後取った1級も価値あるものではありますが、自分にとっては、こっちの2級のほうが価値があったと思っています。(今ではザウスもなくなったし、伊藤敦デモにも指導を受けられたし)

 また、スキーに限らず、プロの指導者の指導方法が、大変勉強になりました。具体的には、まず、第一に良いところを褒めてから、改善すべきところを、指導していく。一度の指導であまりに多くのポイントを教えない。せいぜい3つまでとして、確実に身につけさせる。こんなアタリマエのことが、我々にはなかなかできないのに、この人達はしっかり身についているんですね。自分の子供に対する態度でもそうですし、会社の中で、指導層と呼ばれる人達も同じです。

 それにしても、2002年9月でザウスがなくなってしまったのが残念でなりません。
2002年2月21日、大泉清里で1級取得

 12月と1月は、ニセコを含め、子供達とのスキーを楽しみました。3女はまだ5歳ですから、あまり無理はさせずニセコでは留守番させました。それでも、大開脚ながらトライスキーも卒業して、どこでも猛スピードで滑るように(たまにコントロールが効かなくなって暴走します)なってきました。
 その、4年生の長女と2年生の次女と68歳の父と行ったニセコ。宿泊はいつものペンション・ハルカです。
 1日目こそ、大雪・吹雪であまり滑れませんでしたが、2日目は天候にも恵まれて、アルペン・高原・花園・アンヌプリの殆どのコース(高原第5やスーパーコースは除く)を上から下まで滑りました。
 長女は教えたことはしっかり練習して身に付けてくれるのですが、次女はすぐボーゲンに戻ってしまうのに、スピードだけは人一倍。「練習してごらん」と言ってももう少し、教え方も、もっと上手くならないと・・・。

 2月は休みの日程が合わず、本当は、3月にザウスで1級取得を目指すつもりでした。偶々、2月21日はフライトが無くなり、スケジュールに穴が開いたので、調べてみると、子供と何度か行ったことのある大泉清里スキー場でその日に検定があることを知り、年休(有給)を申請して、受験しました。

 この大泉清里スキー場は、東京から2時間少々(ウチからも)小さいながら全くの初心者用の超緩斜面やリフトも使える500mのソリゲレンデなどもあり、1・2月はスノボ禁止で、気に入っているゲレンデの一つでもあります。

 前日に検定用の講習もあるのですが、仕事は休めず、前々日の休みの日に通常のレッスンを大泉清里スキー場で受けました。
 ここでは、検定のポイントまでは教えてくれませんでしたが、このスキー場の指導のポイントのようなものは多少掴むことができました。これも、2級を取ってある程度検定の意義?を理解してきたおかげです。
2月21日
 いつものように調布ICから中央道に乗ったのですが、事故のため珍しく渋滞。イヤ〜焦りました。
 それでもリフト運行開始の08:30頃ようやくスキー場に到着。直ぐに着替えて受付をし(並んででも最初に受付をすれば心証が良くなると言われていますが、数人が既に済ませていました。・・)その後、検定バーンになると思われるコースを3本ほど滑って、ウォーミング・アップしました。天気は快晴、風もなく相当気温は上がりそうです。
 
 午前中は実践講習テストです。最初に中回りから入ったのですが、滑ったことのないスクール専用のFコースで、斜度が緩いうえ、雪も他のコースほど締まっておらず、スピードの乗せられず、斜面の変わり目で深まわりしてしまう(さらにスピードが落ちる)など難儀しました。

 総合滑降、大回りは、Dコースで、カービングを意識しすぎて内倒になっているとの指摘。午後になっても、Dコースは雪もまだ締まっていて、気持ちの良いカービングができるのですが、ここは敢えて上下動と前半のスキッディング要素を出して滑りました。無事規定種目の中回りから小回りもリズム変化、大回りを終え、解放された気分で滑ったフリー滑走の気持ちの良いこと。
 実はこの時、外スキーが引っ掛かるような違和感が始まっていたのですが、詳細は後ほど。

 合格発表は帰り支度を済ませて、着替えて迎えました。今回はもう「落ち慣れ」しているし、来月の大泉清里とザウスの検定日にはしっかり休みを出しているので、「合格できれば儲けもの」くらいの気持ちでしたから、気楽に構えていましたが、いざ自分の名前が呼ばれると、やっぱりうれしかった。

 中回りを除けば、自分の持ち味を充分出せたと思います。問題は、課題である部分を表現できたか?ということなのですが、検定時にはそこそこ出来ていると思っていましたが、あとでVIDEO(Kitz Meadowsでは検定時に撮影しあとで送ってくれる:ただし有料)を見ると、まだまだいくつも課題があることもわかりました。得点も実践種目の減点分を規定種目で挽回したカタチですし。

 一発で合格できのはバンバンザイなのですが、まだまだ課目としてのポイントは理解・表現できていませんので、今後も講習等の機会を利用して、理解を深め身につけて行きたいと思います。また、整地での滑走が多くなってしまったので、コブ、深雪の滑りにもさらに磨きをかける必要がありますね。

 右外エッジの引っ掛かりは、外してみて分かりました。トップから50cmくらいのところで、エッジと滑走面が長さ5cm、幅2cm程剥離して浮いた状態になっているのです。どこでやったのかは分からないのですが、どこかでぶつけたらしく元々サイドウォールに横から力がかかったように欠けたところがあったのですが、それがトリガーになって、滑ってストレスがかかっているうちに剥離してしまったようです。
 今まで滑走面の剥離(NISHIZAWA)は1回、ベントの曲がりは(NISHIZAWA , ROSSIGNOL)2回、ブーツの割れ(SANMARCO)は1回経験していますが、エッジまでいったのも、2シーズン目での破壊も初めてです。特にELANは今まで相当ハードに乗っても壊したことはなかったのだけど。まあ相当ハードに使ったのは確かですのでしかたありません。なんとか修理も完了したので、現在は北海道専用になっています。

 ザウスの閉館に次いで、大泉清里スキー場も2003シーズン、スキー場・スキースクールの運営会社が変わってしまいました。
石井代表をはじめスタッフの半分は富士見パノラマに移動しましたが、どちらのスクールも、最高に明るくて楽しく素晴らしい指導力のスクールです。


 

そう、ザウスで検定を受けると、あの伊藤 敦デモの指導が受けられ、
伊藤 敦デモから、認定証がもらえたのです。
1級もザウスで取りたかったのですが、Kitz Meadowsで受かって
しまいました。



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